教育勅語とわたくし2

 教育勅語自体はすばらしい。とはいえ、ぼくらはほとんどがお百姓なのだから身分制度がない身分。かっちりした教育とはちゃんとしなきゃいけない身分の武家商家の賜物でありますので、そもそもわれわれ凡百姓には関係ない世界の話。

いつものとおり読まなくていい記事です。


資本主義下の教育の目的は、資本家のための良い労働者作りであるということ。

 外国の話だけど、公費による教育の導入時には資本家の反対があったらしい。教育を受けた市民が資本家の立場を危うくすると思ったからだそうだ。そこで件の理屈を持ち出して資本家を説得したという。そしてその仕組が資本家の同意の下で導入され熟成された結果、経世済民の概念の対象である、そもそもの経済活動の目的である、すなわち国家運営においていちばん大切なもののはずであるところの一般市民「消費者」が滅び去り、資本家と労働者しかいないフィールドで経済内戦を継続するハメになる現在に至っているというところ。
 そして話題になっていることが、今更教育勅語を教育に取り入れるのはいかがなものかという議論だ。武家や商家であるところの役人や商売人が、身分ではなく職業に貶められた現在、教育が教育勅語ベースの、資本家に都合の良い労働者と職業役人の育成を目的とするものであるかぎり、このような歪を生じるのであるならば、既に歪んだ社会である現在の社会は教育勅語ベースの教育が実現した社会とも言える。我々凡百は浪費をしない、欲を持たない、心の問題ではなく物理的にそういう状況に置かれたとしても、積極的な修行僧のように、むしろ自らその状況に自分を追い込み満足するように調教され、嬉しいこと楽しいことを享受することは悪であり、とにかく質素倹約、エネルギーを使わないように生きるという、まるで江戸時代の貧乏藩の最底辺侍が持つような意識を刷り込まれている。商家武家教育を徹底した結果、一億総木っ端役人の世の中になってしまったと言えないだろうか。既に教育勅語は浸透して、凡百の洗脳は終わっているように思える。
 結果、資本経済が行き詰まってしまった。これは本当に、教育の導入時に資本家を説得した時の支配者達が望んだ社会の姿なのだろうか。支配者が支配する対象である、消費者であり百姓である自由民(有象無象・馬の骨)に教育を浸透させた結果、支配者が支配することで被支配層がしあわせになれないのなら、支配者は自省するべきではないのだろうか。
 資本家が立場を脅かされないようにするために、教育をどのように骨抜きにしたのか。その抜かれた骨は、この上教育勅語の思想を徹底させることで解消できるのか。専門家はどんな分析をしているのだろうか。

 自分は今のこの方向は真逆を向いてると思う。今こそ従来の教育を諦め、お百姓を増やす政策を取るべきだと考える。百姓とは、すべてを生み出すもの、という意味である。支配するに資する魅力の塊の意味である。現在の教育で、百姓ではなく家畜凡百しか育てられなかったので、この手持ちカードで経済を上手く回すためには、こういう凡百を作ってしまった職業資本家職業役人は、かわいい家畜凡百に美味いエサを喰わせ太らせ、喜んでブヒブヒと鳴くさまを見てニヤニヤするべきなのだ。
 統計的に、既に我々は十分にこの修行僧な生活を謳歌している。更にこの上、わずかに残された骨と皮までも捧げなければ、支配者も資本家も満足しないというのだろうか。我々は資本家の家畜なのだから、おいしく食べたいのならたらふく食べさせてからにしてもらいたい。

 そんなこんなで色々書きながら、そもそも我々は自由を尊重する思想に基づいた教育を与えてはもらえていなかったし、今後ももらえないであろうことがわかった。我々は家畜で、蔑まれエサを与えてもらえない飼い殺しの家畜ではなく、自由な百姓になるためには、それこそ自力で百姓を目指さなくてはならないことに気がついた。そしてその努力を妨げるために仕組まれた数々の法律の存在にも。

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