なんとなく考えたこと

あ。昔拾ったフリーのVST。HDDの故障とかPCの買い替えとかでどっかにいっちゃって名前も忘れてたやつを見つけたぞ。
ugo audioのThe Element of Surpriseと言う名のvstシンセ。
早速鳴らしてみてひとりで感激してました。こういう音でイメージ膨らませながら音楽作りをしていた時もありました。今はイメージが湧いても全然形にならないので全くどうにもならないんだけど、そのうち何か作りたい。


 日本って人口が一億人もいて、市場が馬鹿でかい。
 思いついたアイデアをちまちまと当て続けて少しずつ供給力を強化しつつ、更なるアイデアを当て続けないと、一億人相手の商売はできない。市場のスケールメリットは、逆に言うと新規需要開拓のデメリット成分でもある。
 ちまちまとアイデアを当て続けてきた先達の創り上げた優れた洗練された事物に触れ続けて育った一億人が居る市場に、そのセンスに胃袋に見合った品質の商品サービス工芸品を一億人分提供することは、これ一般人が新規参入するにはちょっとどころではない敷居が高い作業なのは自明なことなのではあるけれども、実はそれは既存の企業の継続的なサービス提供をし続けられるか否かについての審判を受けることも同じことで、つまり日本に跋扈している企業というのは、国民のセンスのレベルに見合った品質の物やサービスを提供する実力を有する企業と、そんなものはないからとりあえずだまくらかすのに長けた技術を持った集団とに分けられ、先達の洗練されたノウハウを継承できなかった企業は、手探りの新規参入企業と同じように、これまた手探りで洗練されたように見えるものを、供給力のベルトコンベアにのせて利益を上げて企業体を維持しなくてはならず、その圧力に耐えられない企業が、海外の洗練されていない市場を求めて、日本を出ていったのではないか、と考えてみた。

文章がひどい。

 ひとことで言えばマンネリ。グローバリズムは経済的自由主義だから、つまりマンネリというのは自由主義的な気風の構造で起きる特殊な病気なのではないかと。熟年離婚と同じ構造。明日は今日よりも素敵な人とお付き合いがしたいのに、結婚相手は相変わらずクマかアザラシのまんま。
 任天堂が、高学歴が作ったゲームwwって揶揄されてます。最近いろんな家電メーカーも自動車メーカーも、20年前に当時のぼくらが憧れの気持ちを持ったのと同じだけの憧れ感を持てるような商品を作れてないのは、メーカーの中の人の力が落ちたというのは確かにあるのかもしれないけれども、同時にぼくらの方の意識も変わったから魅力的じゃないっぽく見えるだけなのであって、実は本質的にはそんなに言われるほど酷いものではないのかもしれない。

 洗練が必要なのは文化が進んだからで、原始人相手にならそんなもの必要ない。自分の表現が物足りなく思えるのは自分のレベルの高さの裏返しでもあるわけで。よろこびやたのしみを突き詰めて、それを少しづつでもお返しできたならそれで十分なのかもしれない。これ20年前だったらそうだったのかもしれない。今はそれだけでは足りない。つまり、今のこれからのぼくらは、たのしみもよろこびも、本能で感じてるだけでは足りない。表面的にはいろんなものを犠牲にすることで取り繕えるかもしれないけど、よろこびたのしみ、本能的なことに対してはどうだろう。

100のよろこびを120感じる方法はあるだろうか。
100のたのしみを120感じる方法はあるだろうか。

そんな簡単なことまでにも、これからは小賢しい技術が必要なんだとしたら。科学的には意識は錯覚と言う。そもそも宇宙の物理が錯覚だ。そんな納得の仕方でいいのだろうか。

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