2000年の箱庭

 アカデミックな我家の食卓において、登壇時にステージに一礼するのはなんでかって話になった。

 わたくしの主張を書く前のいつものアレとしてなんですけど、日本の歴史は、ほぼ閉ざされた状態で2000年の化学変化の歴史。そのうち1000年は内戦状態だった。聖徳太子がみんな仲良くしようやって言ってから、仲良くの仕方を模索して殺し合い、答えを見つけるまでに1000年かかった。倫理はその歴史の間に醸しだされたもので、閉ざされた空間で限られた資源の奪い合、様々な感情が入り乱れる中、村社会の集合体同士が仲良くするために1000年かけて開発したことについて、結論をひとことで言うと、武士道に見る超現実主義と、茶の湯に見る共通語の確立がそのキモだったというアレです。
 超現実主義がベースの社会制度を上手く運用するには、法を体現できる人材が上に立たなければならない。1000年の殺し合いの競争でピックアップされた、それに適した形質を持った遺伝子=家系がその存在。戦後に家系制度をぶち壊したのは時計を1000年戻す大悪手だった。今の価値観で言えば身分が云々なんてバカげたことに感じるきらいもあるかもしれないけど、1000年の内戦で選びぬかれたエリートの遺伝子をなめちゃいけない。珍しい苗字の人ってどこか一般の人と違うように感じたことはないだろうか。そういうのを見分ける方法は苗字とか、いちおうかすかに残されてはいるんだけど、それもぶち壊されようとしているね。
 茶の湯の共通語的運用は、都会と田舎の格差を埋める価値観。素朴なものこそ尊く、傷も景色と言う。見方を変えれば金銀パールで彩られたものだけが良いものなのではないと言うこともできるという、こじつけもいいところな詭弁をゴリ押し通したところがすごい。これもいまや失われつつある価値観です。
 そういうわけで、そういう歴史で醸成された文化を背負い共有し守っている者同士、その社会と社会が創りだした諸々全てに対する敬意と感謝を、太陽さんが見てるから的な意味合いで表現するための一礼なのではないか、というのがわたくしの主張でした。

 ちなみに正解は、昔教育勅語?が飾ってあった名残、だって。つまんね。

 片っぽでエリートを持て囃し、もう片っぽで一般人にも救いを与え、同じく1000年安定はしていたローマ帝国みたいな奴隷制度も要さず、すべて丸く納めることができる唯一の社会制度がこの超現実主義。東洋の儒教思想と西洋の人権思想の両方を兼ね備えて、片手落ちの両思想とは相容れない。中東の混乱の解決には西洋も歩み寄り、双方の思想を変えて、みんなで超現実主義を取ることしかない。この案を具現し、モデルとして提言できるのは100年前の日本だけなんだけどそんなものはもう存在しない。史上最高品質な八紘一宇がそのときに成し遂げられなかったことが世界の悲劇とも言えるのかもしれない。世界がグローバル経済、新自由主義というエリート思想を選択したのならば、それを補完し世界を箱庭にするための共通語を開発することだ。小手先の叡智では解決できない、次の1000年かけて成す仕事にはなるけど。

 いつものことながら、食卓ではこういう話はスルーされてしまうので、いちおうブログに書いた。たぶん前にも書いた。

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