ついでの話

 一時おとなしかった社会主義とか共産主義の人たちがやっぱり革命起こしたいみたいで、なんとなく嫌な感じの今日この頃。でもさー、日本の歴史見ると半分は内戦内乱の時代で、この国ではもうとっくの昔に市民革命なんて終わってるんだよね。平安時代に源平の争いで武士が政権を取ったっていうアレだけど、その頃の武士って政治家でも警察でも裁判官でもあったわけだし、言えばただの田舎のヤクザの親分だったわけだし、とりあえず資本家階級ではなかったんだよね。それが資本家である公家中心の中央集権から地方分権的な形に変わっていった。最初は仕組みが熟してなかったからそのたびの有力者が実力行使で権力を奪い奪われ、さすがに戦い疲れて織田豊臣徳川時代を経てやっとある程度安定した。
 でさー、その、地方同士の仲悪い人たち同士の仲の悪さを媒介するための共通言語的なコミュニケーションツールってのが必要だったと思うんだよね。聖徳太子の頃はそれが仏教だったり。織田豊臣時代は茶の湯とか。聖徳太子時代は上からこれからは仏教で行きますって押し付けたからうまく行かなかった。織田豊臣時代は千利休とか、ボトムアップ的にステマ的に広めてったからうまくいった。仕組みの成熟という意味で、時代が過ぎての試行錯誤。成果の良し悪しはそのへんの差だと思います。
 戦争仕様の国づくりから平和仕様に変えるのも、そんな経験なかったろうから大変だったろうね。朝鮮出兵は経済対策だったという説もあり。米余り、米価暴落。超デフレ。なんか今に通じるものあるよね。昔の人は命を削っていろいろやって乗り切ったけど、今の人達はどうすんだろうね。結構深刻だと思うんだ。

 ひと世代30年。ってことは、何かをほっぽらかして30年過ぎると、その経験は永久に失われることを意味するんだ。もう戦後60年たとうとしてる。ふた世代。もう既に戦争の経験持ってるひとはいないと考えていい。だからいまさら何ってこともないんだけど、でもこう、肌で感じる緊張感ていうのかな。そういうのはもう既に失われてるんだってことで、それを前提に世の中を見ないと、正しい物の見方は出来ないと思います。特に声のでかい人で、そういう緊張感のない人。


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平安時代3

思えば高校時代の歴史の授業でいろいろ教わったはずなんだけどね、もうずっとこういう取っ散らかった勉強法なので当然テストで点数なんか取れるわけもなく。実にならないどころかむしろアレ。しかも40歳近くなってもまともな文章ひとつ書けない。まことに残念。

今日は律令制度の国郡里制について妄想するのだ。おおまかに国、その下に郡、さらにその下に里というふうに分けられて、管理されてた。それぞれ役人が派遣されたり地元の有力者なんなりが治めてたらしいんだけど、めんどくさいからこれ以上書かない。

自分の興味は制度云々そのものじゃないので、細かいところを見ていきますと、なんと差別制度?があったらしい。良民と賎民だって。五色の賎っていうらしいんだけど、wikiの内容読むところ、これって別に差別非差別とか奴隷制度とかでもなんでもなく、雇い主とサラリーマンの関係じゃねーかと、わたくし読んだのでありますが如何。奴婢という身分にも口分田という田んぼが与えられたらしい。これって、ベーシックインカム?ホントに差別?

前にも書いたかな?わたくし、こういう昔の田舎の人たちって、いわゆるヤクザだったんじゃないかと思うのであります。ヤクザっていっても、本質的にいうところの、立法司法行政の権限を持ったひとかどの親分が、子分を可愛がって、なんかの時には一家全力で体を張ってなんとかするという気質というかっこいい意味でのヤクザ。なんというか豪族とかそういう野蛮な響きじゃなくて、もちっとスマートなイメージな。地元の名家の名士の人って、多少の凸凹あるにしても、総合的にすごくスマートじゃない?そんな感じ。んで、そういう1000人規模単位のヤクザ集団をまとめるために大宝律令とかそういう決まりを作って、全国共通のひとつの判断基準を持たせてやる。そうすると隣の仲が悪い町どうしの争いにも自然とルールが出来上がって、もしいざこざがあったとしても、さらにその上にその判定をしてくれる人がいるという仕組み。この利点が、揉め事がおきた時に力ずくで血みどろの抗争を経て成されるよりも平和的に簡単に解決できる可能性という点で選択されて、わがまま親分集団だけれどもこの制度を受け入れることになったのかもしれない。

んで、これがいろいろな紆余曲折ありながらも、とりあえず400年間。

平安時代2

よくわかんないから想像してみる。
当時の人達って、たぶん人としての人的には今の人とそう変わんない。そんな人達が、それぞれが有利になる選択した結果、適者生存的に律令政治という統治形態が選ばれた。だいたい数十人から数百人規模の集落で村社会。方言がいろいろあって、ちょっと遠くに行くと、そこそこの独自のしきたりとかがあって、他所の村の人とはコミュニケーションがうまくとれない。
村長がいて占い師がいて、あ占い師って今で言う統失家系で、統失の発病率は1%だから、100人の村に一人、占い師がいる勘定。ひと世代20年。平均寿命は20~30年くらいで10代後半~20代に発症するから、あと症状も役に立つものから立たないものまでいろいろだから、なんとなくだけど、偉い占い師っていうカテゴリの先生は8000~10000人にひとりくらいの発生率じゃないかと想像。逆算して、だいたいそれくらいの単位の集落が文化圏としてのひとまとまりでまとまってるイメージ。平安時代の人口は500万人くらいだから、500くらい?国内にそういう単位の町があったであろー。

んーと、何考えようとしてたんだっけ。

追記
平均寿命の計算、0歳0歳60歳で死んだら平均寿命20歳になるから、集落の規模はも少し小さくて、100人×平均寿命的3倍×発症年代的3倍×役に立つ立たない的3倍で、およそ1000人くらいの集落規模が最小単位じゃなかったかと訂正。だもんで、国内には5000くらいの町があったはずda!

平安時代

だいたい、飛鳥時代100年→奈良時代100年→平安時代400年。ざっくり600年。世代で言うと、ひと世代20年として30世代。推古天皇から後鳥羽天皇まで49代。
律令政治っていう、そのときからもう既に法治国家だったんだね。んだけど、権力の構造っていうか、そういうのがよくわかんない。
律令自体も50年くらいおきに実際に合うように作り変えられてるみたい。律令って中央集権の実践のための仕組みで、官僚を身内で固めたから歪が出てきて立ち行かなくなった。200年くらいあーだこーだしてるうちにいよいよダメになって、いわゆる請負当地に体制に徐々に転換してったらしい。


そんなようなことを調べたりして遊んでるとこ。

今の価値観

歴史をかえりみるとき、どうしても捨て切れない、今から目線。現在の時代の価値観というか世界観みたいなものを一切抜きにして、物事を見ないといけない。
そんなこんなで今わかんないのが、平安貴族の偉さの裏付け。和歌読んだり、追い剥ぎに着物盗られたり、なんかちっとも強くないし、なんで当時の人たちはそんなひょろひょろしてる存在を立ててたのか。取り巻きが強かったのか?なんで取り巻きは取り巻いてたのか。どんないいことがあったのか。わからん。
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